世良心療内科クリニック

小樽市の心療内科、精神科 世良心療内科クリニック

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コラム

baby step

悲しい旅

母とふたり、晩秋の京都を訪れた。

雲ひとつない空は、どこまで青く高く。
わずかにひいやりした空気のなか、秋の透明な陽射しに光り輝く金閣寺は
美しいを通りこし、もはや清らな別世界だった。
すがすがしく、心洗われ、なるほどこの世の楽園やもと、
ありがたくなにやら善きことが我が身にもふりそそいできそうな恩寵感にみちていた。

「ありがたいわねぇ。こんな気持ちのいい景色見られて。何の心配もなくて」
ほっと嘆息する母とふたり、カメラにおさまった。

「どうしよう!帰る家がわからない!」
母が突如、通路をはさんだ席のわたしの腕をガっとつかんだのは、
それから、ものの1時間たらずのこと。
宿をとった大阪にもどる車内でのことだった。

紅葉シーズンまっさかり。
観光客で混みあう車内で、とりあえず母をすわらせ、
わたしはしばらくちょっと離れた位置で立っていた。
特急でいくつか目の駅で、すぐ近くの席があき、わたしもすわったのだが、
窓の外はいつの間にか、真っ暗になっていて、
つい先ほどまでの穏やかな陽射しにみちた世界とは、あまりに様変わりしていた。

「どうしよう、おかあさん、頭がおかしくなった!!」
母は涙ぐんでいた。
「大丈夫よ。ちゃんと、帰れるから」
「ほんとう?でも、わかんないの。駅からの道が。
自分の蹴る家がわからないの、どんな家か、思い出せないの」

あぁ、ついにきたのだ・・・!と思った。
やっぱり、おかしかったのだ・・・と思った、
83才にして、母はついに記憶を失い始めているのだ・・・。

この3か月ほど、なんだかちょこっちょこっと変なことがおきていた。
食器がいつもの棚とはまるでちがう場所にしまわれていたり、
ご近所マージャンに行きたがらなくなったり、
好きな韓流ドラマを見ようとしなくなったり、お風呂をめんどうがるようになったり。
いまになって思えば、それらはすべて認知症の初期症状なのだった。
が、単なる老人性のボケと認知症は違うからと、
行きつけのクリニックでもいわれ、
むしろ、「お母さんをあんまりいじめないようにね」などといわれ、
内心、わたし自身もほっとしていたのだった。

それが、この1か月ほど前から、日付がよくわからなくなった。
「今日は何日?」と、朝聞かれるたびに、わたしはつい怒っていた
「そんなもん、カレンダー見ればわかるでしょうよ」
「え?・・・今日は、何曜日なんだっけ?」
「だからさぁ、昨日は日曜だったでしょ?てことはいつよ?」
「・・・水曜?」
「はぁっ??なに言ってんの?おとぼけねぇ」
「ええっ・・・あ、そっか。新聞見ればわかるんだわ。今日の新聞、今日の新聞」
曜日はまれにすぐあたることもあったが、はずれることのほうが多かった。

極めつけは貯金通帳だった。
これまで、家の一切は母がとりしきっていた。
わたしは事務手続きとかが苦手で、
役所の届けなども一回ですんなりすんだためしがなくて、
その手のことはすべて母におまかせだった。
家の自分の家計簿も自分の確定申告も、なにもかも母まかせ。
それで、まったく問題なかった。今の今までは。

それが、3月ほど前。
貯金の通帳が見当たらないと、大騒ぎのあげく紛失届けをだした。
その直後、どっかのひきだしから、ひょっこり通帳が見つかった。
「あぁ、泥棒にはいられたらと思って、かくしたの忘れてたわ!
あっはっは。失礼失礼。おかあさんとしたことが」
銀行には書類を何枚か提出させられたが、この時は、笑いですんだ。

だが、つい十日前ほど前。
また、通帳がなくなった。
大変だ!我が家の全財産が!!と、思った母は、
すぐ銀行へ飛んで行って、手続きをとった。
それはわたしの留守中のできごとで、
しかも母は、何故かそのことをわたしにだまっていた。

銀行からの再発行に関する書類要請通知を、
たまたま、わたしが郵便ポストで見つけたことで、事態はあきらかになった。
「おかあさん!、なにこれ?」
わたしは金切り声をあげた。
「通帳はこないだ貸金庫にいれたじゃない!
まちがいのないよう、わざわざ二人で確認したんじゃないさ」
「えぇっ?そうだった?」
「そうだったじゃないよ!いやだっていうのに、一緒に連れてかれたじゃないさぁ」
「・・・・・あぁ、そうだったっけ?」
「そうだったもなにもないよ!もう、いやんなるなぁ」

事の重大さも知らず、わたしはまだ母にポンポン怒りをぶつけていた。

その日のうちに、ふたりで貸金庫にいって、
通帳があることを確認、デジカメで証拠写真を撮った。
「これなら安心でしょ?」
「うん、ありがとう。
いやぁね、おかぁさん、ぼけたんだわね。これからはあんたにまかせるから、一切合財」
「やだよっ!しってるでしょ?わたしがどんなに苦手か!」
この期におよんでも、わたしはまだ楽観視していたのだ・・・。

その足で、再発行不要手続きに行った。
すると、窓口の女性行員はにこやかに応対してくれたが、
うしろから少しえらそうな人が出てきた。
「すいませんでしたね。勘違いしちゃって、ご迷惑かけて。
私、このとこ少しボケがきちゃって・・・」
照れ笑いしながら話しかける母の顔は見ず、上役の男はわたしにむかって
「あぁ、お嬢さんが一緒ですか、よかった。
あの、これからはおひとりじゃなく。ね、おわかりでしょうが・・・」
と、あいまいに語尾をにごすと、
そそくさとバックヤードにひきあげていってしまった。

通帳はあったと、デジカメを見せて、銀行には納得してもらったが、
私の身分証明証が必要とかで、
結局その日は手続きできぬまま引き上げるはめになった。
「ほらね、わたしじゃ、一回で用すまないでしょ?まったくもう」
気をひくつもりで、わたしはオーバーにため息をついてみせたが、
母は赤い顔でだまりこくっていた。

帰ってきて、しばらくすると、母は突然うなるように言った。
「頭にきた!あいつ、おかあさんのこと無視した。
あやまってるのに、バカにして無視した。頭にくる!」
顔をゆがめる母が、なんだか、いつもの母ではないようで、少し怖かった・・・。

わたしもあの上役の態度にはちょっと頭にきたが、
結局、紛失届は私の通帳だけではなく、
母の定期や普通預金すべてだったと知り、仕方ないか・・・と思いなおした。
翌日、銀行からの電話で、母が銀行の閉まったあと、
裏口からたずねていき、身分証明書がでてきたからと、
再手続きをせまったことも聞いた。

怒りに顔をゆがめた母は、少し落ちつくと、
「これからはあんたの指示に従うから」
と、あやまったりした。
「じゃ、当分、勝手に銀行にはいかないでよね。用事もないんだからさ」
と念をおすと、
「あらっ、どうしよう。これが好きなのよね、銀行に行くの」
と、おどけてみせたりした。
「まったく、もう。たのんますよ」
わたしはオーバーにふにゃけて(?)見せ、笑いながらその夜はすぎた。

異変はたしかに表われていたのだ。とっくに。
気がつくのがこわくて、気がつかないでいただけなのだと、今ならわかる。
そして、こんなにも急激に悪化するとは思わず、
たかをくくっていたことを、深く悔いる。

“秋の日は釣瓶落とし”の言葉通り、
急にあたりが真っ暗になったなか、
なじみのない土地のなじみのない車内で、
おそらく母は突如、激しい不安にかられたのだろう。
「どうしよう。うちの帰り方がわからない」
涙ぐむ母に、わたしは「だいじょうぶよ」と、
笑顔をむける。
「なんのために、わたしがついてるのよ。
いい?まず、新幹線で東京駅につくでしょ?山手線で池袋にいくでしょ?
西武線にのりかえるでしょ?それから」
駅前のスーパーやコンビニ、信号、空中に指で地図を描き、
ひとつひとつ説明していくと、母は鼻をすすりながらも、コクンコクンうなずく。
それでもなお、肩で大きく息をつぎ、唇をかみしめる。
「伏木の家はわかるの。高岡の駅をおりたら、電車通りを進んで・・・・」

伏木というのはわたしが生まれた富山県の小さな町のことだ。
今から60年前。
新婚の父の転勤先のその地で、わたしと弟はうまれ、やく10年をすごした。
富山県は持ち家率、実に全国一。
堅実で教育熱も高いが、なにせ半世紀も昔のこと、
よそ者には排他的な因習の深い地でもあった。
さらに”社宅”住まいと言う、夫の地位がそのまま妻たちの序列となる特殊な環境に、
東京のちゃきちゃきの下町っ娘だった母は、全くなじまなかった。
というか、自分のやりたいようにやり、発言し、
かげにひなたに、つまはじきにされたらしい。
が、それしきでひるむはずもなく、持ち前の負けん気で、思うように暮らしたらしい。
だが、いい思いの残ってる土地でないことは確かなはずだ。
なのに、なぜ??
大切な今の家がわからなくて、苦労した伏木の家のことなど思いだすのだろう?

「いやぁ、おかあさんがおかしくなったら、
あんたがさぞ困るだろうと思ったら、かわいそうで。
情けなくて情けなくて。
いろんなこと考えてたら、なんだかどんどんわかんなくなちゃって」
さめざめと泣くこんな母を見るのは、これが初めてだった。
「まぁまぁ、かわいそうだと思うなら、しっかりしてくださいよ」
冗談っぽく返したものの、不安のあまり、本当は吐き気がしそうなほどだった。

腸が燃えてるようでもあった。
あぁ、はらわたが煮えくりかえるっていうのと、おなじやつだな、これは・・・と、
少し冷静な別のわたしが自分に言った。
こんな風に、腸がガッと熱くなったことは、過去に一度だけ経験があった。
母が何十年ぶりにお仲間と旅行に出ようという日の朝、
心臓疾患のある父が、息苦しいと訴えた時のことだ。
せっかく楽しみにしているのだから、母には告げるなといわれ、
笑顔で送りだした直後、ガッと腸に不思議な熱さを感じたのだ。
何かが燃えるか、特殊な脳内物質ならぬ腸内物質が放出されたような感じだった。
結局、父は悪化することなく、わたしの不安は杞憂におわったのだが。
あのときの、いやな感覚は今もはっきり記憶に残っている。
それが、再び、起こった。

不安で不安で、泣きたいのはわたしのほうなのだった。
人一倍しっかり者の母がこわれていくなんて???
そんあこと、本当にあるわけ?この身におこるわけ??

どうして人は、わが身にそれがふりかかるまで、
自分だけは大丈夫と、信じて疑わないのだろう??

愚か??
いや、もしや、生き延びていくため、人にあらかじめ備わった本能か?

生まれた以上、死なない者はいない。
親も死ぬ。
自分もいつかは死ぬ。
いつかは定かでないけれど、その日は確実にやってくる。

その昔、弱っていた父が、
渋谷のスクランブル交差点の人ごみをながめながら、言ったことがある。
「100年後には、今ここにいるすべての人間が、いないんだからなぁ」

父がその時、どんな思いでそう言ったのかは、謎だ。
もしかして、自分だけ、先にこの世を去るのが悔しかったのか?
そんなふうに思うのは、わたし自身がたっぷり人生に未練があるから、だろうか??

大阪なんば駅に着くと、それでも、母は夕飯を食べていこうと言った。
「なによ、泣いても食欲はあるんだ?」
からかうと、母は少し笑った。

ホテルの部屋で、その夜、再び、東京の家がわからないと嘆く母に、
ちゃんとペンでそなえつけの便箋の裏に、
駅からの道順と、部屋の間取りを描いてみせた。
「ガラスのはまった白いドアをあけると、右手に下駄箱があって、
目の前にはニポポの神様が飾ってあって・・・」
「あぁ、アイヌの熊の木彫りもあるでしょ?」
釧路で7年を過ごした我が家は、今でも北海道の神様が玄関を守ってくれているのです。

少し落ちついてくると、母は表情までもがはっきりしてきて、
「しかし、お母さんがこんなにボケるとはおもわなかったわ。
ぜったい、最後まで頭だけはしっかりして、
みんなに憎まれ口たたきながら生きてくんだと思ってた」
と、しごくまともな感じで首をひねった。
それで、あぁ、落ち着きさえすれば、だいじょうぶなんだと、私も少し安心した。

だが、母の調子は脈絡もなく、くるくる変わった。
母が正気だと、わたしも明るく、母が混乱すると、わたしは吐きそうになった。
「本当に見事だわね」
古都の紅葉を一応愛でるようなことは言ったが、その実、一刻も早く東京に戻りたがった。
「もう、これが最後だわね。もう、来ることもないだろうね、京都も」

こんな悲しい旅はなかった。
帰りの新幹線でも、母はしつこく家への道順をたずねた。

これから、わたしたちはどうなっていくのだろう?

覚悟をきめなくては。

旅は人生そのものだ。
今回ほど、それを痛感した旅はない。

でも、考えれば、友達のだれかれも、
すでに認知症の母親の介護をしたり見送ってきたりしている・・・。
友人たちは、多くは語らなかったが、
みなこうした不安や耐え難い思いを超えてきたのだと思うと、
不意に申し訳ない気がしてきた。

何もわかっていなかった。
大変だねェと、ときどき息抜きの食事や映画をつきあったり、
はげますくらいはしたけど、
本当のしんどさに思いをいたす想像力はもちあわせていなかった。

父を亡くした時も思った。
世の中の人は、みんな、こんな辛い思いを乗り越え、
ちゃんと生き続けてきているのだ、と。
早くに親を亡くした友人が、やけに立派に見えたり、
あらためて、人間ってえらいなぁと、世間をみなおしたりしたものだ。

ま、それって、どんだけ、甘ちゃんだったの???ってだけの話かもしれませんが。

これまで結婚をしたこともなく、犬猫を飼ったこともなく、
つまり、誰かの面倒をみるということもなく、
ずっと親の保護のもと気ままに暮らしてきたわたし。

人生,二巡目にして、初めての危機。
ってか、人として、当たり前の試練。
どうか、わたしがしっかり覚悟をもってのぞめますよう。

多くの友が、今、笑顔でいるように、わたしもきっと笑顔でたちむかえますよう。

「だいじょうぶよ。
親にあんただれ?っていわれても、
うちの主人なんて、しまいには、裏山のキツネだよ、なんて流したりして」
ご迷惑かけるかもと、一言挨拶によったら、お向かいの奥さんが、ほほ笑んだ。
「わたしも、さんざ介護で苦労したから。
そりゃあ、いろんなことありますよ、これから。
もう、ホントかぞえきれないくらいいっぱい。
でも、だいじょうぶ。
ちゃんとみんなのりこえてるから」

思いがけない励ましが、こんなところにもあるとは・・・。

人生すてたもんじゃないのかなぁ。

さぁ、もう、師走。
北風には負けないぞ!と。

あ、でも、頑張りすぎると、ぽっきり折れちゃうんでしたね。

柳に雪折れなし。
やんわり、ゆるゆる参るといたしましょう。

作家
: 正本ノン
プロフィール
   
星座
: 水瓶座
血液型
: A 型

診療時間

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休診日
第2・第4・第5土曜日、日曜日、祝日

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