世良心療内科クリニック

小樽市の心療内科、精神科 世良心療内科クリニック

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コラム

baby step

春は本当にくるの?

弥生3月
そう口にするだけで、なんだか春が少し近づいた気がする。
実際、我が家の台所では、まだオリーブオイルが凍っていて、
仲良しがボケ防止にいいらしいよと送ってくれたココナッツオイルも、
ごりごりに固まっているけれど。

本当に春はくるんだろうか?
珍しく、そんなことをつぶやいたのは、
この2月がなかなかの激動の日々だったからにちがいない。

ご近所ではもう誰もやらなくなってしまった豆まき。
節分の日に、母と二人、大きな声をはりあげ、
居間や寝室はもちろん、トイレやお風呂の窓まであけはなち、
鬼は~外~~~っ、福は~~うち~~~っと
叫んだあたりまでは良かったのだ。

その後、東京には40数年ぶりという雪が降った。
私は仕事ででかけ、午後4時過ぎには、すっかり忠臣蔵みたいに雪で覆われた街を、
ずぼんずぼん埋まりながらJRの駅までたどりついた。
いつもなら7分程度だが、急な坂道もあったりして
きゃぁきゃぁひゃあひゃあ、倍の時間はかかった。

頼みの山手線は大幅な間引き運転をしていて、10分待っても15分待っても来なかった。
すごいでしょ?たかだか10分で!
でも、いつもは、ものの2分おきとか来るんです、山手線って、本当に。
やっときた山手線は週末だというのに、通勤ラッシュ並みの混雑で、人いきれと湿った空気がむされたので、なんともいえない臭いがした。
一応長靴をはいていたが、はるかに深い雪で、靴のなかはびしゃびしゃだった。
私鉄に乗り換えると、さらに最悪で、たった1駅なのに、えんえん待たされた。

ええ、ええ、わかってますって。
北国の人からみたら、たかだか数十センチの雪で
ぴいぴいぎゃぁぎゃぁ大騒ぎしてる東京の人がバカみたいにみえることくらい。
わたし自身、なにしおう豪雪地帯・富山生まれの北海道育ち。
雪には慣れてるし、いつもたかだか数センチ積もっただけで、ニュースになったり、
救急車が出る騒ぎになるのを、アホか?ってな思いでながめていた。

でも!でも!!でも!!!
今回の雪は、本当に手強かったんです。
ってか、2週続けて降ったのが、まずかった、ってか痛かった。

最初の雪のときは、大変だなんだと騒ぎながらも、
まだゆとりと言うか歓びのようなものがあった。
それが証拠に、我が家の駅に降りると、駅前に、大きな雪だるまがこしらえられていた。
駅員さんと交番のおまわりさんが、まだ一緒に雪かきをしてる姿も
なんかちょっと良かったりして。
友人からの写メには”普段はつまらない夫が珍しくお茶目なことをしたので送ります”と、
やけに首の細いスフィンクス!の雪像が添付されていたりした。
古希を迎える横浜の友人からも、ベランダの手すりの上につくった
雪だるまの写メが送られてきた。
大人もちょっとはしゃぎたくなるような大雪だったのだ。

1週間後の週末、ふたたび、大雪となった。
しかも、今度のは、水分が多く、降ってる先からシャーベット状になり、
そいつが凍りかけているところへどんどん雪が積もっていくという、
たちの悪いやつだった。
わたしはどうしても仕事で出かけねばならず、
長靴に大量の防水スプレーをして、家を出た。

玄関から門扉まではわずか数歩。
ところが、雪がびっしり降り積もっていて、門扉があかない!
そんなこともあろうかと、夜中に門扉の前を雪かきしておいたのだが、
まったく用をなさなかった。
それぐらい、一晩で大量の雪が降っていた。
オーバーに言えば、ひざくらいまである雪を両手でかきわけながら、すすんだ。
そうして門を出るまでに、数分を要した。

ニュースでは、よっぽどの用のある人以外は外出をひかえるようにと、繰り返し言っていた。
哀しいかな、わたしにはよっぽどの用があった。
休日とあって、出歩く人は少なく、目の前にはほぼバージンスノーの雪の山。
また、この雪が水分をたっぷりふくんだやつで。
一応表面は雪らしく、真っ白でふわりと美しいのだが、足をふみいれると、
ずぶべちょずぶずるるべちゃずぶ
一足ごとにそんな状態で、駅どころか、家をでて、一つめの角を曲がる前に、
私の心は折れる折れる。
防水スプレー??自然を甘くみてもらっちゃこまるぜ・・と、
わたしは雪の立場でつっこんでみたけれど、笑う気にもなれなかった。
冷たくて濡れてるってだけで、人って、こんなにみじめなんだぁと、
ほぼホワイトアウトした意識の中で、ぼんやり思ったりした。

車の交通量の多い駅前は、中途半端にできた轍やおしのけられた雪の壁が
障害物競走みたいにたちはだかっていた。
だが、もっと最悪なのは、車のせいでとけだした雪水が
横断歩道の入り口の低い部分にたまって池になっていることだった。
池?いや、実際には、それは沼だった!!!
底なしか??と思うほどの。
みんな、なるべく水位の低そうなところを選んでわたるのだが、
少なくとも足首以上にはどろどろ雪が冠水、
では雪の上を・・・と思っても、ふわりの下はすぐずぶぐわっびじゃっ・・・
というわけで、もう仕事先についた時はそれだけで、へとへとなのでありました。

でも、きっと、これ、のちのちいい語り草になるなとは、どこかで思ってた。
旅行先でのトラブルが、のちのち、けっこうな笑い話や思い出になるように。
トラブル イズ トラベル。

仕事先では、集まった連中が口々に、道中いかに大変だったかを語り、
みんなには、こんな日に仕事で集まった者同士、妙に高揚した連帯感のようなものがあった。

たっぷり水分を含んだ重く湿った雪は、我が家のキンモクセイの枝を折った。
直径7,8センチはあるけっこう太い枝なのに。

そういえば、大好きな沈丁花は10数年前の大雪のとき、屋根から落ちた雪でバッサリ折れ、
それ以来、我が家は、沈丁花なしの春を迎えている。
沈丁花は不思議な花で、そこにあるのに、いつもあとで香りに気づく。
鼻をちかづけるより、通りすぎた時にどこからともなくふわっと香ってくるのだ。
その年、最初にどこかで沈丁花の香りがしたら、
その日が”春”の訪れと決めていたのに。
ま、見知らぬよそ様の軒先からふわっと香ってくる沈丁花に春を感じるのも、
ワルくはないですけどね。

ところで。
週末2度にわたって東京にふったこの大雪では、転倒者が続出、救急車がフル回転だったそう。
アホか?と、ニュース映像を見ながら、例によって雪国育ちのわたしと母は、あざけっていた。
「だいたい、雪の日に、自転車って、なにかんがえてんのかね?」
「あらあら、ハイヒール!!どこまであまくみてんのかね?自業自得自業自得」

が、実にそれから1週間後。
我が家は、救急車を要請したのだった・・・・。
雪かきによるぎっくり腰で・・・
それも、雪が降った直後ならいざ知らず、暖かい日もひょこっと顔をだし、
表立った道はすべてかわき、道路わきに積まれた雪も、
自然に待てばものの2,3日で溶けるだろうというころになって。
83才の母が、おもむろに雪かきをしだしたのだ。
「やめなって。意味ないよ、腰いためるよ」
そりゃ、何度もいいましたよ。
けど、母は。
「大丈夫です。富山にいた時から、なれてんだから」
の、一点張り。
いいけど、富山に居たのは、今から50年、つまりは半世紀も前の話なんですけど・・・。

それから2日後。
朝の4時半。まだ真っ暗ななか、1階から、かすかにわたしを呼ぶ声がした。
まだらぼけの母のこと、またなにか夢でもみたのかと、
こちらも寝ぼけ眼で、どうしたのぉ??と2階の自室から呼ばわると
「動けなぁい、助けてぇ」
と、弱弱しい声がかえってくるではないか。
「動けない。息ができない」
母はコタツの前で腰に手をあてながら、倒れこんでいた。
動かそうにも、ちょっと触っただけでうなるので、そうしようもない。
「救急車呼ぶ?」
「いや・・・ぎっくり腰ってやつみたい」
娘を起こしてしまったことを母はすまながってもいた。
「悪いけど、あんた、そばにいてよ・・・」

あわててネットで検索すると、ぎっくり腰では救急車を呼ばない方がいいとあった。
「誰がそんなこと言ったの?!!」
あとでかかりつけのクリニックに行くと、いきなりしかられたけれど、
わたしがのぞいたサイトでは、そうあった。

“三日ぐらいは様子を見るのが一番。
そうするうちに少し痛みがひいてくるから、病院や接骨院へはそれから”
なるほどと思い、3日間、様子を見た。
発症した日は、それでも、歩いてトイレに行った。食欲はあった。テレビも見た。

2日目、這ってトイレにいった。
痛さにうめくときもあったが、
腹這いになっておそばをたべたりして、
「アラよくなったと思わない?丈夫なもんだわ、やっぱたたきあげは」などと笑った。

3日目、這ってトイレに行こうとして、途中でフリーズ。
紙パンツをはいたまま、無言でコタツの中、終日寝ていた。
そして、丸丸3日がすぎた日のやはり未明。
横で寝ていたわたしが、ふと気配に気づきめざめると、
「起こしちゃった?ごめんね・・・」
と、母がとぎれとぎれに言った。
「苦しくて息ができない」

それでも、まだ躊躇していた、わたし。
本当は、怖かったのかも・・・。
母が入院するほどの急病だと認めることが・・・。
「朝になったら、いつもの先生のところに行って、受けいれさがしてもらおうか。
あと4時間あるけど、待てる?」
うん、と母はうなずいたけど、本当のところはどうだったんだろう?
ともあれ、大丈夫??もう少しだからねと励ましながら、夜が明けるを待った。

ネットで区内の救急病院や休日営業の整形外科をさがし、ある程度目星はつけていた。
時間になって、クリニックに行くと、開院5分前なのにもう2人、待ってる人がいた。
「すいません、救急車呼ぶんで、先にしてもらえますか?」
もちろん、快く譲ってくれ、先生もすぐ応対してくれた。
「だめよ、年寄りにガマンさせちゃ!」
血圧が180を超えていたことを告げると、女医はため息をついた。
3つほど候補の病院があり、うち一つは診察券を持っていたが、
病院の雰囲気が暗いのでイヤかも・・・というと、あきれられた。
「だって、入院なんてただでさえ気分が鬱々とするのに。
新しくてきれいなとこの方がいいじゃないですか?」
だが、私の願いはあっさり却下された。
入院要請の電話は何度も待たされ、女医はそのたびに同じ説明を繰りかえし、
時おり、受話器を片手でふさぎながら
「自分でかけたほうが良かったかもね」
と眉をしかめた。
結局、受け入れ可能となり、わたしは自宅にすっ飛んで帰り、119に電話をいれた。
「消防ですか?救急ですか?」

あぁ、心臓病の父の時も、何回かしたなぁ・・・と、頭の片隅で思い出したりした。
初めてのあの時にくらべれば、10数年後の今回は落ち着いていた。
救急車が来る前には、門扉をすべてあけ、
うちの玄関も居間のドアもストッパーをはずし、全開にした。
玄関の鏡や小机など邪魔になりそうなものは移動し、表通りにでて、救急隊がくるのを待った。
入院携帯品もホームページで調べ、準備万端。

救急隊の3人は、まず母の血圧をはかると、手早く板のようなものを準備。
「ちょっと痛いけど、我慢してね~~」
と、母をストレッチャーにうつした。
激痛にうっっと息を詰まらせた母は、それでも、車中で
「すいませんねぇ、おいそがしいのに」
とくりかえし、
そのたびに救急隊員は「いいえ、大丈夫ですよぉ」と
答えた。

病院につくや、大勢の患者の待つなか、ストレッチャーは検査室の前まで運ばれ
、しばし、順番待ちとなる。
と、見知らぬおばあさんが横に立っているわたしにハンカチをさしだした、
「これ2枚あるんで、さしあげるから使って。お母さん、まぶしいみたいよ」
ハンカチなら持っていた。
ただ、そこまで気がまわらなかった。
確かに、母は、救急台のうえ、肩手で目のあたりを覆っていた。
「大丈夫?ごめん、気がつかなくて」
タオルハンカチをのせてやると、母は小声でいった。
「ちがうの、顔見られると恥ずかしいから」
救急車に乗るとき、近所の人に見られなかったか?
とも、気にしていた。
「病気なんだから、しかたないじゃない!なんで気にすんの?!くだらないっ」
いらっとするわたしに、母は「恥ずかしいわよ・・・」
と、力なくくりかえした。

結論からいって、うす暗くてイヤだと思った病院は、
意外と明るく、病室はきれいだった!
激痛を訴える母に
「そうか、ごめんなぁ。でも、検査しないとなぁ。
どう、足曲がる?ここは?痛い?ここは?」
と、ゆ~~ったりした口調で話しかけながら、
「あ、痛っ!先生、そこ痛いっ!」
と、訴えても
「う~~ん、痛いよなぁ、でも、圧迫骨折じゃないから、帰ろうと思えば帰れるよ」
なんて!!!!
これっぽっちも動けないのに、だよ!!
「そんなぁ、お願いしますよ。自力で歩けるようになるまで入院させてください」
と、こちらから頼みこんでの入院となった。

「大部屋あいてないんですけど、差額ベッドでも大丈夫ですか?」
看護士さんにきかれ、顔を見あわせる母とわたし。
そりゃ、なきゃしょうがないうけど・・・と思ったら、母が苦しい息のもと、言った。
「うち、ビンボーですから、なんとかしてください」

痛み止めの座薬に、注射、湿布にコルセット、投薬、フルコースしてもらい、
病室に落ちついた母の第一声は、「ここ、いくらの部屋だって?」だった。
幸い、6人部屋で、差額ベッドではなかった。
ざっと1日の入院費が3千円くらいだと知ると、母はそりゃぁにっこりした。
「1万8千円の個室だったら、飛んで帰るけど、そんな安いなら安心していられるわね」

しばらくして、さっきの医師がのぞきに来た。
「どうだぁい?少しは楽になったかぁい?」
先生は、母の足首をシーツの上からつかむと、軽くゆすり、
「ま、ゆっくりね、こういうのは。無理しちゃだめだよ」
と笑うと、軽くポンポンと母の腕をたたいて去って行った、
「じゃ、お大事に」

先生がいなくなると、母はぺろりと舌を出した。
「ね、ね、ハンサム。歌舞伎の人に似てる。愛之助」
確かに。
愛之助よりはちょっと落つるけど、やわらかい物腰とか笑顔とか、似ていた。
「うちは本当に、医者の当たりがいいわね」
と、母はうれしげに肩をすくめた。
「ま、それだけ医者にかってるってことだから、いいんだか悪いんだかだけど」
「そりゃ、いいほうがいいに決まってるよ」
大きくうなずきながら、先生の「どうだぁい?」の一言は、職人芸みたいなもんかもと思ったりした。
いや、本当に、安心感と言うか信頼感もったもん。

老人は入院すると一気にボケが進行すると聞いていた。
わたしが入院を恐れたのは、それが一因だったかも。
「お母さん、ここは病院だよ。明日の朝必ず来るから、私のこと、探したりしないでよ」
「大丈夫よ、いやぁね」
母はうけあったが、翌日、看護士さんから、
「娘がこない。心配だから、10円ちょうだい。電話するぅ」
と言って大変だったんだよね、と報告された。
2日目の夜には、禁じられているのに、自力でトイレに立とうとして、
結局はナースコールをするはめになったそうだ。

朝昼晩と食事時には必ずそばについていたのだが、
3日目、ちょっと家に帰ってもどると、母がベッドの横に立っていた。
「なにやってんの?!駄目じゃない!横になってなきゃ」
悲鳴をあげるわたしを、母は笑ってさえぎった
「なにいってんの。もう平気ですよ。
ただ黙って寝てるだけで、ばかみたい。
もう飽きた。帰る。
だいたい、あんた、いくら、この部屋?」

4日目、朝、会いに行くと、母が待ちかねたように言った。
「もうすっかり大丈夫だからさ、退院しよう」
「しようってさ、退院なんて勝手にできるもんじゃないでしょう」
「えぇ?なんで?もう治ったもん、いいじゃない
。あんた、言ってよ」

わたしはその朝、自分の人間ドッグで品川に急がねばならなかった。
それでも、顔だけは見せて安心させようと、たち寄っただけなのに。
看護士さんに相談はしたが、担当医の承諾がないことには・・という話だった。
でも、その担当医、3日後にならなきゃ登院しないんですけどぉおおお!!!
ともかく、遅刻覚悟で先生あてに退院したい旨、手紙を書いて、検診にむかう。
バリウムでヘロヘロになって、昼食時間に間に合うよう病院へ急いでいると、携帯が鳴った。
「留守電にも入れたんですけど、退院の許可が出ましたんで」
看護士さんからだった。

急ぎ、病院にむかうと、もう服に着替えた母はすっかり御満悦で
最後となる病院食を食べていた。
「ここ、お米だけはおいしいわよね、ほんと」

あれれ??
怒涛のようにすぎたと思った2月だけれど、こうして書いてみると、たいしたことないか?
単に、親が入院した、という一事に尽きる?
う~~ん、でも、本当に怒涛だったんです。
それが証拠に、人間ドックまでにダイエットを!と思いつつ全然下がらなかった体重が、
なんと、心労でわずか3日で1,5キロも減っていた!
おかげで、BMIだっけ?肥満率は、見事平均22をわずかに切っていた!!!!
長年、デブとかデカといった烙印をせおっていた身にとっては、
なんともめでたいできごとなのだった!!!

無事、退院を手にしたその日は、この冬、一番の温かさを記録した。
3月下旬の気温だったそうだ。
病院の外に出ると、やわらかな風がほほをなでた。
「あぁ、気持ちいい」
母は目を閉じる。
タクシーをつかまえようとすると、少し歩きたいという。
「本当に大丈夫?」
「もちろん、見てごらんなさいよ。しっかりしてるでしょ?」
母は、私の腕につかまりながら、ゆっくりゆっくり歩いた。
まだ日陰のそこここには雪が残っていた。
「もう、2度と雪かきはしないわ」
「そうだよ。年、考えなきゃ」
「いやなんですよ、負けるのが」
「なに、負けるって。勝ち負けじゃないでしょ」
「いいえ、勝ち負けですっ」
もひとつわけのわからない会話をしながら、わたしたちは一足一足、足を運んだ。
途中、子供たちの賑やかな声のひびく公園の横に、小さなカフェがあるのをも見つけた。
「ちょっと休んでこうか?」

ソフトクリームをほおばった母は、しみじみと言った。
「あぁ、幸せ。やっぱり健康が一番ね」

残り10分ほどの道を、ふたたびゆっくりゆっくり、我が家にたどりつくと、
母はただいまぁと声に出した。

そっか。
ほっとした途端、ひさしぶりに扁桃腺がはれ、今も唾を飲みこむたびに痛かったりするから、
わたし、へとへとで、怒涛の2月だったなんて思ってるのね。
退院したものの、まだ腰を曲げ、座薬を欠かせない母。
介護のためには、寝こんでなんかいられないというわけで、
レモン1個丸々しぼったのを熱いお湯で割って飲みほし、あったかくしてたっぷり寝たら、
悪化はしないですんだ。

春なんて、本当にくるんだろうか?
ふっと、そんなこと、胸をよぎったのは、わたし、不安だったからなのね。
日頃、二人暮らしの家は、一人ではやけにがらんとして、食事も作る気がせず
、冷凍ものチンしたり菓子パンですませたり。
とりあえず、家をかたづけなくちゃ・・・と、掃除だけは熱心にしたりね。
心細かったんですね。当然だけど・・・・。

人生は些細なことで成り立ってる。
というか、生活は。
健康は、その中でも基本なんだね。
春が近くなると、実際には行かれないまでも、やれ桜だ、京都だと、
浮かれ気分になっていたのも、家族が健康で、平和でいられたからなのだと、あらためて思う。

3月弥生。
北の大地に春はまだちょっと先の話だろう。
東京も冬の寒さがぶり返しましたと、お天気おねえさんが伝えている。
でも、春はやっぱくるんだよね、ちゃんと。
お雛さまは出しそびれてしまったけれど、きっと春がきますよう。
なにがしか善きことのある日々でありますよう。

作家
: 正本ノン
プロフィール
   
星座
: 水瓶座
血液型
: A 型

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第2・第4・第5土曜日、日曜日、祝日

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