世良心療内科クリニック

小樽市の心療内科、精神科 世良心療内科クリニック

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コラム

baby step

ブルーベリーの朝

学生のころ、テストの前になると、 突然、本が読みたくなったりしませんでしたか? 今でも、私は締め切りの前とかになると 突如、部屋の掃除をしたり、本棚の整理がしたくなる。 一種の、ってか、完全な逃避行動(^^) で、ちょっと机のまわりをかたづけはじめると、あらららら。 新聞のきりぬきやら旅行のパンフレットやら チョコの紙(食べた後のです・・・ちゃんとごみ箱に捨てろっつうの)やら ガムの紙やら(すいません、捨てます・・・)小銭やら(^^)にまじって、 ひょっこり昔のFAXが出てきたりする。 “Dear ナオコ ほっぺの傷は少しは薄くなったか? 私はなんだか勝手に「ナオコなら大丈夫 」って思ってるんだわね。 そういったら、ミッコが 「なにいってるんだぁ。あんなに繊細なのに!!」って文句いってたけど。 ん~、でも、なんか「きっと大丈夫」って思うんだもんね。 近ごろ、私の読みはけっこう当たるんだぜ~~~っ。 ともあれ、私はナオコの幸せを祈ってる。 幸運も。もちろん、武運長久もね(笑)” ???! あぁ、思い出した。 このころ、友人のナオコは、彼氏と別れる別れないでもめて殴られたんだった。 頬の傷より、心の痛手は深く、私たちはあまり傷口にふれないようにと思いながらも、心配でおろついていた。 でも、このころ・・・って、いつごろだ?! もう、ナオコともこのFAXにでてくるミッコとも、顔を合わせることがなくなって久しいけれど。 “そんじゃまたね!! May the force be with you!! (スターウォーズから、はや20年とは!!・・・)” 最後にそう書かれてるから、’97,8年ごろか? わっ、ってことは15年前のFAXだ、これ!! ぎ、ぎえ~~~っ!! 年代不詳のメモや書きかけの手紙は、ほかにもどんどこ出てくる。 “大学教授だって、恋をする。 恋をすれば結果として、人を傷つけたり傷つけられたりする。 それは辛いことだが、致し方ないことである。 先生、どうぞ堂々としてらしてください。 時代は恋に寛容です” ワハハ。 これ、知り合いの教授が、別れた彼女にマスコミにばらすぞ!とおどされてたころの、励ましのお手紙だ! 大学教授っていっても、しょせん、一人の男ですからね。 恋をすれば、アンナコトやコンナコトもするわけで・・・むふふ・・・・でも、いけませんがな、二人だけの時間のヒミツ、あれこれバラすのって。 よく、ワイドショーで、政治家や芸能人の元彼や元彼女って人が、なんだかんだ告白したりしてるけど。 私、あれ、キライです。 よっぽどひどい暴力とか詐欺まがいとかの場合は、もちろん、論外だけど。 告白してるがわの人間性、疑いますです。 そりゃぁ、うらみつらみはゴマンとあるでしょうけれどもさ。 恋の責任は、基本、フィフティフィフティだと思うんで。 私、ひどい裏切られ方したことあるけど、しょうがないと思ってるよ。 (おほほ、急に語調が乱れましたです。 10年も前の恋だけど、どっかにまだ痛手が・・・・へへ) 幸い、この知人の教授は、暴露されることもなく地位も安泰、今はちゃんと新しいパートナーと幸せにやってます。・・・・・ [続きを見る]

バラとアオムシ

「四っ葉のクローバーって、見つけ方があるのよ」 横浜は赤レンガパークわきの小さな原っぱで、友人が言った。 「見つけようってムキになっちゃいけないの。ぼおっと、焦点を結ばないような感じでながめてると、むこうから声をかけてきてくれるのよ」 「え~~っ?!」 「ほんと。なんとなく浮きあがってくるの、そこだけ」 「マジカルアイみたいな感じ?」 「そうそうそう」 マジカルアイ。 一時流行った、平面の図柄が3D映像みたいに浮かびあがって見える!ってやつ。 全然うまく見えないのですぐ投げ出したけど、今年、かかりつけのクリニックの待合室で、1冊まんまマジカルアイの絵本を見つけた。 一生懸命、目を細めたり、本を斜めにしてみたり、手こずってると、診察室からチラと顔をのぞかせた女医さんが、すっと一言。 「それ、近づけたり離したりすると、見えますよ」 え~っ?あらら、ほんと!! 突如、目の前に全く違う図柄がうかびあがった。 うっそぉ。できちゃった。ほんのちょこっと両手をのばしたりちぢめたりしてる間に。 昔、あんなにやってもできなかったのに! それ以来、クリニックに行くたびトライするけど、割とすぐ3Dになってくれる。 コツってあるんですね、何ごとにも。 でも、あれ、見てると酔いませんか? っていうか、なんかビミョーに気持ち悪くなりません? 平衡感覚が狂うというか。 埼玉県の秩父に、一面、芝桜におおわれた丘がある。 丘の上にたつと、ピンクと白の花の絨毯がそれはそれは事なコントラストで。 たしかに美しいのだが、私はちょっと具合が悪くなってしまう。 明度が強すぎるというか、天然の花なのに蛍光色なので、長いこと眺めていると、やっぱり微妙に平衡感覚がくずれてきて、くらっとする。 同じふらつくんでも、世界の文豪となると、一味違う。 19世紀、滞在先のフィレンツェの美術館で倒れたのは、名作「赤と黒」で知られるフランスの作家スタンダール。 ミケランジェロ、ラファエロ、ダヴィンチ、ブルネレスキ,etcetc。 ルネッサンス芸術の粋を集めたイタリアの古都で、あまりにも素晴らしい芸術作品や建物群にかこまれているうち、作家は不意に強烈なめまいに襲われ、昏倒した。 原因は・・・・”美に圧倒されて!” し、しえ~~~っ。かっこいい!! 以降、この手の反応には”スタンダール症候群”と名前がつけられた。 人って、酷なことや惨いことだけじゃなく、感動でも倒れたりするんですね。 あ、昔の映画とかで、愛を告白された女性が気絶するシーンがよくあったけど、あれも、これかしら? ちなみに、彼の小説って、教科書に名前が載るくらいだから、めんどくさいって思いがちだけど、実は、”宝塚歌劇”もびっくりの”愛と冒険のグランドロマン”って感じなんですよね。 なんせ “恋について語ること、それ自体、すでに恋である” なんて、聞きようによっちゃじゅうぶんパボな格言残しちゃってるような人ですゆえ。 おすすめは「パルムの僧院」かな。 あ、で、四っ葉のクローバーですが。 友人のいうとおり、ぼおっとながめていたら、あ、あったぁ!! と思ったら、すぐに2本目も。 5月の横浜は、もうすっかり初夏の日差しで。 でも、シロツメクサの叢は、ひいやり涼しくて。 その日は、友人の誕生日。 見つけたての四っ葉のクローバ―はお祝いにプレゼント。 でも、さすがに3本目はみつかりませんでした。 「つい、欲がでるからね」 そう、どうせ見つかるはずないと思ってたときは、ぼおっと眺めることができたけれど、実際に発見しちゃうと、つい、もっとと、目が皿のようになってしまうのでした。 もう一人、誕生日の友人がいて、彼女とは薔薇を見に行った。 埼玉は所沢の西武球場で、チームが遠征中のあいまをぬって、ドーム球場で薔薇とガーデニングのフェスタがひらかれていた。 球場へは西武線の急行でもかれこれ1時間。 入場料も2千円と決して安くない。 だが、電車には多くの見物客と思しき中高年の姿があっちにもこっちにも。 案の定、池袋で乗った客のほとんどが、わさわさ、終点の球場前で降りた。・・・・・ [続きを見る]

春よ、来い

朝、居間へおりていくと、母親がすっと目のあたりをこする。 「なに、また泣いてたの?!」 私があきれるので、母は泣いていたことを隠そうとする。 被災地を映すテレビも、あわてて消したらしい。 涙の理由はさまざまだ。 「だって・・・みんな、どんなにか心細いだろうと思ったら切なくて・・・」 「ところがさ、世の中には立派な人がいてね・・・」 「まだまだ、日本人も捨てたもんじゃないのね」 「ねぇ、世界各国がこんなに助けてくれるなんて、初めてじゃない? このまま、みんな戦争なんてやめて、世界が平和で幸せになったらいいのにね」 気持ちはわかるが、東北の地震以来、一か月以上ずっとこの調子だ。 娘としては、親の具合のほうが気にかかる。 「もう、いいかげん、やめなよ、気にするの。 その年でお母さんがボランティアにかけつけるわけにもいかないんだしさぁ」 すると、母はしばし口をつぐみ、おもむろに言いかえした。 「あのねぇ、あんたたちみたいに、普通に育ってきた人にはわからないんですよ。 経験した者にしかわからないの、こういうことって。 お母さんだって、昔、戦争で何もかも失って食うや食わずで・・・・」 昭和20年。終戦の約半年前の3月10日未明。 東京大空襲のもと、いくつかの防空壕で拒絶されたものの、 どうにか命拾いをした母は、その時14歳。 夜があけ、空襲もおさまって、外へ出てみると、あたりは何もかもが一変していた。 たった一晩で10万人からの人の命を奪った空襲。 昨日まで友達ときゃぁきゃぁ走りまわっていた下町は、ものの見事に焼き払われ 、一面瓦礫と逃げ遅れた人々の黒焦げの遺体が折り重なる焼野原となっていた。 防空壕から這い出てきた人々は、みな呆然とたたずんでいたという。 あまりに変わり果てた光景に、言葉もなく、ただ立ち尽くすしかなかったと。 涙もでなかったと、母は述懐する。 そんな中でも誰かが音頭を取り、生き残った人を取り集め、 空襲を免れた川向こうまで歩いていったそうだ。 今は商船大学がたっている越中島といわれるあたり。 そこの大きな体育館のようなところで、しばらく寝泊りしていた。 それがどれくらいの期間だったか、記憶はないという。 が、やがて、ある日突然、全員、電車に乗せられ、 渋谷のえらい宮様(皇族)のお屋敷につれていかれたそうだ。 緑の繁る広大な屋敷の庭は、静かでまことに整然としており 、ついさっきまでの避難所暮らしとは、まるで別世界だった。 そこで、みんなはひとり500円と、番傘を一本ずつ渡された。 「時代劇にでてくるやつだ」と思ったのを、よく覚えているそうだ。 渋谷からぞろぞろと歩いて宮家に向かう途中、 制服姿の女学生(女子高生)たちとすれ違った。 その時、なかの一人が母のところへ走り寄ってきて、厚手のコートを差し出した。 「あの、よかったら、コレ、着てください」 母の胸におしつけるようにコートを渡すと、女学生はさっと走り去っていった。 14歳の母は、焼け出されたまんまのかっこうで、ぼろぼろだった。 「なんで、あのとき、お母さんのとこにきてくれたのかしらね。 よっぽど哀れに見えたのかしら?」 宮家をでたあと、母たちは行先をつげられぬまま、さらに電車に乗せられた。 いや、行先くらい教えられていたのかもしれないが、 大半の人は、ともあれ命令に従い、あとをついていくしかなかったのだろう。 ついたのは国電・上野駅。 焼け出された人々は、そこで町内ごとに整列させられた。 「では、牡丹町1丁目の住人は新潟県の・・・」 と、えらい人から発表があった。 強制疎開、だ。・・・・・ [続きを見る]

3.11

3月11日 その時、私は調子が悪く2階の自室ベッドで ごろごろ韓国ドラマを見ていた。 身体が揺れたので、まためまいかと思った。 が、すぐ、激しい揺れが襲ってきた。 ガラス窓がびりびりなり。家じゅうが軋み音をあげた。 あわててはねおき、片手で机の上の地デジを抑えた。 もう片手は壁について、母の名を叫んだ。 地震には慣れていた。東京はけっこう地震が多いのだ。 だが、いつもとは全くちがった。 瞬時に、神戸のことがよぎった。 10数年前。阪神淡路大震災のあの日、1月17日。 私はその前々日まで、神戸にいたのだ。 初春の京都大阪で七福神めぐりや商売繁盛の十日戎を楽しみ、 神戸にまで足を延ばしていた。 ほんの数日前、小春日和だぁとコートの前をあけて歩いていた街が、 ぐしゃぐしゃになって煙をあげている。 もし、まだあの街にいたら・・・・そう思うと、他人ごとではなかった。 その神戸と、同じことになるの??? よろけながら廊下に出ると、階段の下、母がズボンをずりあげながら、 柱にしがみついていた。 階段の上と下で、悲鳴をあげながらも互いの姿を確認し、 壁にへばりついているのが精いっぱいだった。 ペンダントライトが振り子のように大きく揺れ、今にも割れおちそうだった。 テレビでは緊急放送が入り、東北地方が震源であること、 でも、東京は震度2と出てますかね、なんてアナウンサーの声が聞こえ、 ふざけるなよ!と思った。 強い余震はその後も何度もおこり、そのたびに恐怖したが、 やがて未曾有の大震災の現状が次々と報じられ、 東北地方を襲ったツナミの惨状を見るに及んで、 本当にとんでもないことが起こったのだと、実感した。 今、東京では計画停電やら、原発の放射線もれや、 通勤難民の問題がいろいろでているけれど、 そんなもの、あの沿岸部の人々の被害から見たら、 なにほどのものでもない。 スーパーでは品の棚があっというまに空っぽになっているけれど、 我が家は買いだめはしない。 ティッシュやトイレットペーパーも、今までの買い置き分を使って、 当面はしのぐ。 今から60数年前の3月10日。 第二次世界大戦も末期の東京下町は、未明に米軍の空襲をうけ、 何万という人々が犠牲となり、一気に家も財産も失った。 うちの母も、その中の一人だ。 まだ中学生だった母は、避難しようと駆けこんだ防空壕で、 いっぱいだからダメだと追い払われ、かろうじて別の防空壕に逃げ込んで 一命をとりとめた。 初め、母が駆け込んで拒否された防空壕は、直撃をうけ、中にいた人は全滅だった。 何が幸いするかわからない。 人の運命を分けるものは、いったいなんなのだろう? あっちにもこっちにも焼け焦げた死体が折り重なる一面の焼野原。 黒焦げの遺体からは、まだ胸のあたりから チロチロと赤い火がくすぶっているのが見えたそうだ。 下町の人間は、死者を野ざらしにしておくようなまねはしない。 だが、あまりにも多くの遺体を前に、手の施しようがなかった。 そうして、打ち捨てられたままの遺体からは、しばらくのあいだ、・・・・・ [続きを見る]

談志のお辞儀

談志を見た。 あの立川談志です。落語家の。 今の人には、爆笑問題の太田光が尊敬してる芸人って言ったらわかりやすいのか。 ともかく、若いころは天才と喝采をあび、人気実力ともにピカ一。 日曜日の人気テレビ番組「笑点」も、談志が司会をやっていた時が圧倒的に面白かった、座布団に価値があったというのは、大方の認めるところ。 一方、政治に首をつっこんで、一時は沖縄と北海道の開発庁長官なんて大層な役どころにもついたけれど、暴言だか失言だかで物議をかもし、あほらしくてやってらんねぇと、さっさと辞任した。 ついでに、議員もやめたんだったかな? 政治家の談志には興味がないので、いいかげんかもしれないけど、私の印象の中ではそんな感じだった。 せっかく才能があるんだから、落語に専念してくれればいいのに、 その後は微妙にずれてった気がする。 本当に才能のある者が必ずしも評価されず、情状やお手盛りがまかり通る真打ち認定に反発。立川流をぶちあげ、いっそ、金額次第で真打ちにしたらいいじゃねぇかと、本当にそれを実践した。 以降、周囲は彼を”師匠”ではなく、華道・茶道にならい”家元”と呼ぶようになった。 つまりは、天才にして革命児。変わり者。 が、それも落語への愛ゆえ? そんな人間が、年をとる。 そんな人間も、年をとる。 近年の家元は体調がおもわしくなく、高座にあがるというだけで話題になるくらい。 また、気に入らないと(?)そもそも会場へ姿を現さないなんてことも、しばしば。 「え~~、まだ家元は姿を現しておりません。今日は大丈夫なんすかね?」 「さきほど、電話がありまして・・・。ともかく家は出た、と」 「ご安心ください。さっき、家元が無事、到着いたしましたですよ」 先にあがる弟子たちが、口々に実況して笑わせるのは、もう談志一門会のお約束。 「わかっております。えぇぇ、みなさんがお待ちなのが家元だってことは。もう、私のほうは、こう、さっさとやってね、さっさと・・・」 人気者の談春や志の輔までが、そうふってから噺をはじめるほど。 そんな家元が、喉の癌になった。 1年近い闘病を経て、ようやく復帰の運びとなったのが、3年前。 今回と同じ、練馬のホール。 なにせ、復活後初の高座ということで、会場には関係者やらマスコミも大勢。客席をぎっしり埋め尽くしたファンたちが固唾をのんで見守るなか、家元が口をひらく。 「・・・・・・ ・・・・・」 ??・声が・・・出ない! マイクはちゃんとオンになってる。 談志の口はちゃんと動いてる。 なのに、声がきこえない!!まさか?! 喉をやられただけに・・・もしや・・・。 客席が微妙にざわめきかけた矢先、マイクにぐっと身をかがめ、談志は、ニヤリ、笑った。 「へへ。大丈夫、いや、声は出るんですよ、ちゃんと。驚いた?」 緊張した空気が一気にゆるみ、ほっとした苦笑が場内に広がった。 談志はそれを、例のちょっと斜めに右肩を挙げたかっこうで満足そうにねめまわしてた。 ね?ほんと、人がわるい。 それから丸2年。 今回の病状はさらに深刻だという噂だった。 だが、先に出てきた弟子たちは、 「いやぁ、まだまだ死にませんね、あれは。なんせ、しぶといですから、うちの師匠は」とか 「ご安心ください。家元は元気で、いましがた、無事到着いたしました」 と、いつも通りに笑わせた。 そしてーーー。 その時が、きた。 出囃子がなる。 早くも拍手がわきおこる。 出囃子が続く。が、主役はいっかな登場しない。 出囃子がたっぷり3回はくりかえされるに至って、客席はひそかにざわめきだす。 「まさか、帰っちゃったわけじゃないよね?」 苦笑まじりのささやきがかわされたりする。 が、それでもなお、家元は姿をあらわさない。 拍手をし続けながらも、客席には不穏な空気がまじりだす。・・・・・ [続きを見る]

日々の祈り

目が覚めると、世界は一変している。 お布団の中から見上げる天井も、窓も、隅々まできっちり片付いた部屋も、 みんな妙に改まった感じで静まり返っていて、いきなりちょっとよそいき顔だ。 あたりを包む空気の冷たささえもなんだか特別に思え。 ―――って、昔のお正月はそんなじゃなかったでしたっけ? やれ大掃除だなんだとつい直前までバタバタしっぱなしだったのに、 夕刻6時をすぎるころにはみんなちゃんとお風呂にも入って、 家族そろって年越しそばをいただきながら、コタツで紅白歌合戦を見る態勢にはいる。 いつも9時には「寝なさい」と強制撤収(?)されていた子供たちには、 夜遅くまで起きていてもいいというだけで、大みそかは特別な日になる。 初めのうちは、絶対12時まで起きていて、新年を迎えてから寝るんだ! と頑張っているのだけど、いつのまにかまぶたはひっついてて。 気がついたら、お布団のなかで、もうとっくに朝はあけている。 新しい年がきている。 「どうして起こしてくれなかったのぉ!!」 まだ眠い目をこすりながら、台所へいって、 お雑煮の支度をしている母親に文句をいう。 冷いやり冬の冷気のただよう台所は、もわもわ湯気があがり おいしそうな匂いがいっぱいだ。、 「起こしたけど、起きなかったんでしょ?それより早く着替えて きなさい」 ガス台のお餅をひっくりかえしながら、母がちらとこちらを見る。 「顔洗ったの?ちゃんと挨拶しなさいよ」 「ふわぁい」 口を尖らして、部屋にもどると、枕元には新しいセーターとスカート、 タイツがおかれている。 もちろん、下着も昨日お風呂のあと着替えた、真新しいやつだ。 お正月の朝の食卓には、御節の詰まったお重や、 いつもは見たことのない きれいな食器が並んでいる。 1年に一回、この日だけ着物姿の父の前には、おちょこと徳利。 母と私たち子供には、オレンジジュース。 「あけまして、おめでとう」 父が居住まいを正して言う。 「おめでとうございます」 わたしたちも、ちゃんと正座したまま、軽く頭をさげる。 「本年もよろしくお願いします」 親がすっかりあらたまっているから、私たちもそれっぽくするけど、 どこか芝居っぽくてくすぐったい気持ちもあって、 私と弟はこっそり肘をつつきあったりする。 やがて、父がおもむろに懐に手を入れる。 「さぁ、じゃ、ふたりにはお年玉を」 わぁ~~い!! って、なんか、まるで、 向田邦子の新春ドラマスペシャルの一コマみたいじゃあ~りませんか?! でも、正真正銘、私たちの子供のころのお正月はこんなだった。 昭和30年代。 ・・・今から、もうかれこれ50年、半世紀も前の話だ! 本当に羽子板で羽根つきをしたり、凧をあげたり、コマをまわして遊んだ。 三が日(元旦から三日までを特別にそう呼ぶのです) 店という店はすべて閉まっていて、町は本当に静かだった。 掃き清められた道路。門松。 家の前に出て遊んでいても、通る人はまばらだった。 初詣以外、元旦は出かけず、家族ですごすものだった。 開けて二日。・・・・・ [続きを見る]

ランプの贈り物

師走のJR山手線は常にも増してひどい混みようだった。 駅に着くたび、大量の人がなだれ込んできて、あっちにドドドッ、こっちにガガガッ。 いい加減疲れ果て、うんざりしてるとこにもってきて、目の前に座っている若い女は、私の脚がちょっとでも彼女の膝に触れようものなら、そのたんびに斜めにすくい上げるように、にらみつけてくる。 うっせ~、こっちだって押されて迷惑してんだよっ! 心の中では、もっとひどい罵詈雑言がうずまいて、もはや私はほとんどその見知らぬ女性を呪いかけている。 よく、ニュースで中高年のおっさんとかが、そんな簡単なことで人刺しちゃうの??とか、あきれるくらいアホな事件を起こしたりしてるけど、なんかわかるような気がしてくる。 小さな舌打ちや、独り言、カシャカシャ耳障りなヘッドフォンの音。 うんざりしきって外を見やろうとした時、ふと斜め前の席の若者の襟に目がとまった。 はやりの黒ストライプの背広の襟に、小さく光るのは、社章?それにしてはなんだか形が変だけど・・・・? あれれ?もしや、魔法のランプ?? わぁ、そうだわ、これ、アラジンの魔法のランプだ! ほら、レストランでカレーのルーがはいってくる取っ手付きの器があるでしょ?あれに似たやつ。 ちょっと華奢な形の足に、豪奢な模様つきランプの口からは、ご丁寧に煙があがっているではありませんか?! またその煙の形が、クジラの潮吹きみたいに先端が分かれていて、微妙にバランスが悪いんですね(^^) あぁ、なるほど、それでパッと見、何の形かわからなかったんだ?! 思わずにやりとした私。その間、わずか、2,3秒? でも、今の今まで、思いっきりささくれたって、目の前の見知らぬ少女に激しい憎悪を抱いてた私の心が、ふっとゆるんだのだ。たった、それだけのことで。 年寄りに誰も席をゆずろうともしない、みんなが押し合いへし合いで不機嫌だけが渦巻いてる車内。 少女の一つ隣の席で、朝っぱらからスマートフォンでゲームに没頭しているしょうもない(?)若い会社員。 けど、その襟の小さな小さな魔法のランプは、私をつかのま満員電車の人いきれから解放してくれた。 そういえば、昔、「魔法使いジニー」とかって、可愛らしい魔女がでてくるアメリカのコメディドラマがあったなぁ。 あれ、主人公は宇宙飛行士かなんかじゃなかったっけ? ともかく、浜辺かなんかで魔法の壺だかランプをひろってさ。 中から出てきたのは、アラジンのときみたいなむさくるしい魔人じゃなくて、アラビアチックな薄物をまとった、キュートな美女で。 魔法を使うときも、すんごく簡単、腕組みしてキュッて目をつぶると、もうOK、願いは叶ってる。 あれ、違った?「奥さまは魔女」のサマンサと混同してる? いや、サマンサは鼻と口をくしゅくしゅってやって、ダーリン♪って、呼ぶんだったっけ。 ちなみに、ジニーは、殿~~~~っ♪だよね。 中村晃子が吹き替えやってた。あの声も好きだったな。 アラビア風のスケスケ衣装は、頭に巻いたターバンやアクセサリーとあいまって、少女心にもエキゾチックで、いやがうえにも憧れをかきたてられたもんだよなぁ。 スケスケ衣装といえば、アラビア風というよりは明らかにネグリジェ姿のお姉さんが、雷さんといっしょに屋根の上で踊る、マスプロアンテナなんてののCMがあったっけなぁ。 ♪見えすぎちゃって困るの~~~っ、見えすぎちゃって困るのぉ~~~っ♪ わっ、すごい、即、歌えるわ。 そういえば、地デジばやりの昨今、マスプロアンテナってどうなってるんだろう?発展してるのかなぁ?それとも・・・? とかとか。 芋づる式にどんどこ思い出やらなにやらがよみがえり、気がつくと、私の中で渦巻いていた苛立ちやら憎悪は、すっかりかき消えていた。ランプだけに、煙のごとく(なんちゃって^^) 人の気分って、案外、簡単に変わるもんなんですね。 その日、見知らぬ若者の襟についていた小さなピンバッジは、 そうして、私への贈り物になった。 アクセサリーとかファションには、そんな効用もあるのね。 おしゃれって、自分のためだけじゃないんだ? あ、でも、それは、人がまとう衣服だけじゃなく、人そのものにもいえるのかも・・・。 たとえば、珍しく用があって、早くから出かけた日曜の朝の電車。 一目でそれとわかる大手学習塾のブルーのカバンをしょった子供たちが、わいわいと乗り込んでくる。 体をぶっつけあったり、きゃはきゃはぎゃはぎゃは、元気いっぱい。 もう追い込みに入った今の季節は、模試があるのか、親子連れの姿も目立つ。 母親と一緒の子もいれば、父親が同行、なかには両親そろってなんていう子もいる。 親子連れがぞろぞろ降りていくと、一人で乗っていた男の子が、心細そうに車内の路線図を見上げる。大丈夫、というように少年は肩で一つ息をする。 結局、少年は次の駅でおりる。同じカバンを背負ったこどもたちが、やはり何人か降りてゆく。 よかったね、模試会場は駅と駅の中間にあるんだ、と私はひとり納得する。試験、頑張ってね。 バレエをやってる女の子たちも一目でそれとわかる。 みんな素晴らしく姿勢がよくて、長い髪は頭のてっぺんできれいなお団子に。サンタクロースみたいに大きな衣装バッグをかけている。 いいなぁ。女性なら幼いころ、一度はバレリーナに憧れたことがあるんじゃないのかしら? 取材で、初めて訪れた小さな田舎町で、バレエ教室の看板を見かけたことが、何度かある。 どんな町にも、ひとつはバレエスタジオってあるもんなのか?・・・・・ [続きを見る]

モレモレ!!

♪バタフライ バタフライ バタフラ~イ ふんふんふん~ 木村カエラちゃんの歌を気持ちよく口ずさんでいたら、 20代の友人に、つっこまれた。 「ねえさん、そこ、バタフライ、一回ですから」 あらま。 もしや、これって血筋? 「おい、お前んとこのオヤジ、ず~っと、愛しちゃったのよって、 止まんなくなっちゃたらしいぜ~」 登校するなり、いきなりクラスのワルがきに笑われたのは、 父が会社の人の結婚式に出た翌日。 ムード歌謡なんてもんが全盛で、 いくつもの男性コーラスグループが甘ぁい歌声を響かせていたころ。 どのグループも、不思議とスタイルはそっくり。 リーダーはじめ数人のコーラスメンバーはおよそ地味なおっちゃんばっか。 なのに、みんな揃いの白いスーツに超ネクタイなんかして。 足元はぴかぴかのエナメルシューズ。 そんななか、一人リードヴォーカルだけは、イケメンで (当時は”甘いマスク”っていってましたネ)世の奥様方のハートをキュッ。 新宿は歌舞伎町のクラブ「愛」あたりの 昔のホスト氏を思い出してもらえば、多分、一番近い。 数あるヒット曲のなかでも「愛しちゃったのよ」は、一世を風靡していた。 ゲストの女性ヴォーカルとのかけあいで、 男女の他愛ない恋の始まりを歌った歌詞は、 単純な歌詞とメロディで、親しみやすく、 なんと幼稚園のこどもたちまで口ずさんでいた!ホント。 クラシック好きで、歌謡曲なんかほとんど知らないうちの父ですら、 この曲だけは聞き覚えがあった。 披露宴に招かれた父は、余興で意気揚揚と歌い始めた。 ♪愛しちゃったのよ、愛しちゃったのよ~ 実はこのあと、♪寝てもさめて~も、ただあなただ~け とかなんとか、今なら考えられないようなのんきな歌詞が続くのだけど。 なんせ、出だしのインパクトが強いので、 父の頭の中ではそれだけしか記憶されていなかったらしい。 ♪愛しちゃったのよ~、愛しちゃったのよ~ また、短いから、どんなメロディにもあてはまるんですね、 このフレーズ。 かくて、父はバンドが曲を奏で続ける間、ず~~~っと ♪愛しちゃったのよ~ と繰り返しつづけ、 披露宴会場はくすくす笑いから爆笑に包まれた。 たまたま、同級生の親も披露宴に出ていて、この顛末を息子に話した。 名前から、どうもうちの父らしいと察した悪がきに冷やかされ 思春期の乙女としては、本当に恥ずかしかった。 おかげでしばらく、私は 「お~い、アイシチャッタノヨ~っ」と呼ばれていたのだ。 「ねえ、ちょっとあんた!もう、モレモレ!!」 そう叫んだのは、うちの母。80歳。 病院の超音波検査室の前。 すぐ済むから、トイレをがまんするように言われて1時間。 限界に達しかけた母は、ついに立ち上がり、 出てきたイケメン検査員をつかまえた。 「あぁ~~~~~っ、じゃ、は、はい、こちらへ!!」 「笑いますけどね、ほんと、モレモレだったんだから!!」 母が真顔で言うたび、私は笑ってしまう。 と同時に、感心する。 臨場感あるよなぁ。いい年した大人がモレモレって。・・・・・ [続きを見る]

金木犀

早朝。 めざめると、階下で小さな足音がして、 母がすでに起きているのがわかった。 ベッドの中でしばらくじっと天井をあおいでいると、 やがて、新聞をめくる音が聞こえてきた。ぱらり、ぱらり。 静かな時間が流れていることに、ふと胸がしめつけられる思いがする。 平穏な日常が始まろうとしていることが、こんなにも尊いものだとは・・・。 ゆっくり起き上がろうとして、太ももに激痛がはしる。 うっ、私はベッドからおきあがることもできず、小さく呻吟して身をよじる。 そう、なにを隠そう!私は、車にはねられて負傷したてなのだった!! 正確には、接触事故。いや、抵触と言ったほうがいいくらい。 事故としてはささやかなもの。 信号のない横断歩道を直進しかけて、 抜け道から大通りに左折しようとしてきた乗用車と、ぶつかった。 あ”ああ”あああ”ああああ~~っ”” それは、もう本当に一瞬のこと。 やばいっ!あ、うそ、くる!本当に?!わっ、私、事故るんだ?! 本当にこんなことってあるわけ? 頭の中でそんなこと思ってる間、視界のなかでは、車の映像が コマ落としになっていた。 全体がスローモーションになるというよりは、止まった映像として、 車がグワン、グワン、2段階で接近して、もうすぐそこにあった。 止まる?止まんない?うわぁ~~。当たる当たる、ほんとに当たるぞ!! そう心の中で繰り返せるくらい、時間は、間延びしてた。 衝撃を感じて、地面に投げ倒されてからは早かった。 「大丈夫ですかっ?!警察呼びましょう!」 車から降りてきた男の人が叫んでいた。 車道に倒れたので、私はほかの車に轢かれないか、あわてて後ろを見る。 大丈夫!だが、あわてて跳ね起きる。 男の人が飛び散ったバッグやら何やらを拾い集め、自転車を起こし ガードレールに立てかけてくれる。 すぐそばのコンビニや通行人が、あぁあとかいいながら、こっちをみている。 2ブロックほどむこうには警察署。 「大丈夫ですか?怪我はないですか?」 運転してた人の奥さんも、すぐさまかけよってきて、心配してくれる。 そりゃ、怪我はあった。太ももやら、手首やら。 でも、思ったほど痛くはなかった。 脳内麻薬とやらが、どばっと放出されてたのかもしれない。 それよか、私が一番に案じたのは、人を待たせていることだった。 頭を打ってでもいれば、話は別だったろうが、頭は打っていない自信があっ た。 骨も折れてなさそうだった。 この程度の痛みや怪我なら、ぜんぜん平気! 今しも、待ち合わせに遅れそうなことに比べたら!! 「警察を呼びましょう」 「いえ、私、すんごく急いでるんです。どうしてもいかなくちゃいけないんで す!」 「いや、でも、保険とか・・・」 困惑する相手に、私は確かめる。 「あの、悪い人じゃないですよね?」 「え?えぇ!」 「じゃ連絡先教えてください!。私、急ぐんで、後で連絡します!」 「あ、は、はい」 そのまま、自転車にまたがろうとすると、 「あ、待って。ハンドル直します!」・・・・・ [続きを見る]

眠れない雨の夜

三日三晩、雨が続いている。 もう永遠には晴れの日はこないのか、地球の滅亡は本当かも・・・ と、一気に憂鬱な気分になる。 ついこの前まで、暑さを呪い、雨よ、降れ!と祈っていたのに。 人間って、ほんと、勝手。 すぐ隣町では、急な増水で半地下のビルが浸水したと ニュースで言っている。 でも、私は出窓に頬杖をついて、猫の額の庭で、 茶色く枯れていた苔が一気に息を吹き返し、 濃い緑色に変わっていくのを、眺めている。 こんなにも鮮やかに命を吹きかえす生き物って、あるだろうか?! 激しい雨足に、見上げれば空は黒灰色に覆われて、怖いほどだけれど。 マンションの9階にすんでいたことがある。 窓からは遠く富士山が見え、すぐ下は私鉄の駅だった。 プラットホームをみおろすのが好きだった。 というより、もはや歯磨きとかわらない毎日の習慣だった。 昼間の駅は別になんてことなかったけれど。 夜中に目がさめ、ふと見下ろすと、夜明け前のまだぼおっとほの暗い闇の中、 プラットホームに明かりがともっているのが、心細いような、 逆にそこだけが最後の希望のような、不思議な気分になった。 冬の早朝は、特に。 たぶん、始発もまだとおぼしき時刻。 すでに、ホームにはひとり、ふたり、離れて客がたっている。 いったい、彼らはどこへいこうとしているのだろう。 この世の果てとか、どこか、自分が遠い世界にいるような気分になった。 夜の、だんだん人が少なくなってくるホームをみおろしているのも、 悪くない気分。 プラットホームの長い蛍光灯が、人々を励ましているようであり、 慰めているようでもあり。 でも、一番好きなのは、雨の日のプラットホームだ。 雨の日はラッシュアワーがいつもより確実に早くなる。 みんな、家に帰るのだ。寄り道せずに。 “家”っていうのは、帰るところなんだなぁ。 帰る家のある人間って動物は、いいなぁ。 いつだったかTVで見たアフリカの草原では、激しいスコールのなか、 トムソンガゼルが激しいスコールのなか、ただひたすら立ち尽くしていた。 ひろい草原に、てんでに分かれて、ぽつねんと。 そのくせ顔だけは同じ方向を向いて。 どうせなら、肩を寄せ合って大きな木の下で雨を避ければいいのに。 雨の中のトムソンガゼルの光景を思い出すと、いつもちょっと悲しくなる。 ま、彼らにとっては、知ったこっちゃないかもしれませんけど。 そこへいくと、オランウータンは、さすがわれらが仲間。 大きな葉っぱを傘がわりに、木のまたに腰掛けて雨やどりしてる姿なんかは おぉ、工夫してますな、先輩!って声のひとつもかけたくなる。 100円ショップのビニール傘は、もはや日本の誇る発明品 のひとつといってもいいんだとか。 外人観光客が、こんなに安くて便利で・・と お土産にまとめ買いしていくくらいだとか。 でも、おかげで、”雨宿り”はほとんど死語になってしまった感がある。 突如降り出した雨に駆け込んだ店の軒先で、ひそかに好きだった先輩や クラスの気になる子と一緒になってしまって、たがいにあいまいな会釈をする ともなくして、 どぎまぎしてるくせになんでもないそぶり。 空を見上げるふりをしながら、ちらり気になる人の横顔を見やる・・・・ なんて、胸きゅん、もしや、100円傘に奪われてしまった??・・・・・ [続きを見る]

作家
: 正本ノン
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